6/25 18時 @シアタードラマシティ
配信を見て追記
・あまりにシゲシゲしい……致死量の加藤シゲアキ……小説ではあんまりシゲシゲしさを感じたことなかった(細かい表現とかではしげあきくんを感じることは多々あるけど、全体の雰囲気として)んやけど、脚本となるとこんなにもシゲシゲしさを感じるんやな。どっちかっていうとソロ曲みたあとみたいな気持ち。シゲシゲしさをどこに感じたかっていうと、テーマ(創作/才能)、モチーフ、セリフ、ミューズとしての女性、余地、なんかな。
・まさか染、色後に星の王子さまのことを考えるとはね〜〜。今回の不時の桜といい、リレー書簡のヤドリギといい、加藤シゲアキファンにはわかる要素を忍び込ませてくるの憎いな〜〜〜
・カルテット発売当時のリングに星の王子さまについて、こんな風に書いてた。(まだこの頃はライナーノーツやってなかったね)
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参考になったのが、実のところ自分の小説の映像化だった。
「ピンクとグレー」は監督が大胆にアレンジした。
「傘をもたない蟻たちは」はプロデューサーが「因数分解からの再構築」という試みをした。
自分が「星の王子さま」を違うコンテンツにするならどうするのか。
「因数分解」という方向より、「咀嚼、吸収、再生産」でいこうと。
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まさに染、色も「咀嚼、吸収、再生産」やん。染色を染、色するにあたって、小説星の王子さまを曲星の王子さまにする過程に重ねて、そのモチーフを引用したとかやったらおもしろいな。
配信みたら記憶してたより不時の桜があちこちで出てきてた。
・「(春に咲いてた)それって(秋に咲いてたのと)同じ花?」「同じじゃないよ、桜だってそんなにばかすか咲かないよ」
・「何考えてたの?」「秋の桜」
・「あいつにきかれたんだ。秋に間違って咲いた桜は次の春も咲くのかって」「それって……」
・「深馬は"すごかった"。1,2年の頃はもっとほとばしるものがあった。あいつ気づいちゃったんじゃないかな、自分の限界に」
・「入学するときたまたまうまく行っただけ。周りが勝手にもてはやした」
秋=入学するときに時期を間違って才能が咲いたってことなんか。えー、でも桜は咲く季節が決まってるけど、才能が開く時期なんて決まってへんのやから、そこが秋やったとは限らんくない?春やったかもしれんやん。
・はじめに大きく「染、色」ってよく知ったしげあきくんの筆跡がでてきたのぞくっとした。ここから加藤シゲアキの世界に誘うよ〜〜って感じで。グラフティを光で表現するんおもしろかった。グリーンマイル思い出しちゃうね。
・序盤の「海外文学の話し方!」っていうセリフ好き!競技場に置かれた便器をみて「フランス映画みたいなシュールさ」って言った人の語彙!
・6本目の指の名前の大喜利のとこも好きやったな。しげあきくんが書くああいうテンポの良いやりとりももっとみたい。ポリダクトリー。シンデレラか。
・ノーマルコンプレックス、「ちゃんと不幸」、あまりにもしげあきくんを感じてしまって胸が苦しかった。10年若かったら深馬を俺が演じたかったっていうしげあきくんエグいな〜〜。
・深馬の「怒りでかいてたけどかけなくなった。そんな自分に焦りも持てない。」文庫かさありの窪さんの解説(小説を書こうと思った動機には、何かに対する激しい苛立ちがあったはず)を思い出した。
・描ききれなくてモチーフにしてた詩を変えたり、キュレーターに気に入られるために好みを研究したり、素材集めのために撮影したり、やりたいことがあるんじゃなくてやることが目的になるとしんどそう。創作が何者かになるための手段になった時点で「本物」にはなれへんのかな。「(ソロで)やりたいことが無限にある」っていつか言ってたしげあきくんがかいてるのはちょっと残酷に思えた。「誰かの力で誰かになろうとしてる」「本物を演じてたら本物になれる。もう大学教師に未練なんてないよ、少しでも本物になれるから」
・深馬は落ちてくるキャンバスから杏奈を庇って手を痛めた?筆持てなくなった?だからスプレーに?(スプレーの方が腕の負担大きいか知らんけど)手を痛めたというより、キャンバスから色が腕についたっぽかった。腕の色を見て高笑いする深馬。黒く暗転されて浮かび上がる染、色の文字。真未の服はずっと真っ黒で、腕に色をつけることは「汚してるというより洗ってる」
・「作品を完成させるってことはもう手をつけられなくなる、死ぬってこと」創作への覚悟とプライドを感じるよ〜。もう手をつけられんくなるんは怖いけど、染色が染、色になったみたいに、不時の桜がまた別の作品で出てきたり、そういう思ってもなかったおもしろいことがその先に待ってるかもしれんよな。
・深馬と真未の名前があまりに似てるのが意図的なんが出会った直後の「ま行ばっかり」でわかって、最後の最後に真未が深馬ってわかるの、うわーー。意地悪ーー(褒めてる)漢字が「未」なん珍しい気がする。まだ真じゃない。いつか真になるのかな。
・ここまでみてきた、どこまでが現実でどこが非現実なん……??って揺さぶられる感じ。2回目みたらまた感じ方変わると思うから配信ありがたい。これってこやまくんの好きなどんでん返し??こやまくんみたーー!?「壁の高い位置にスプレーした場所」があるなら真未はいるんちゃうん、って思っちゃうけど、空き家とかっていうのもあり得るもんな。
・深馬ってさ〜〜、原田が滝川のこと好きって気付けるくらいには周りのことみてるのね……河川敷で深馬と原田が会話したのは現実じゃないってことは、深馬の幻想で。深馬からみた滝川はああいう言動をするし、深馬からみた原田はああいう言動をするんか。
・「これ俺がかいたの?」「私が深馬の自由になってあげようか?」他人と思ってたものが実は幻覚で、つまり自分やったってことは、才能っていう面だけからみたら救いにもなるやと思った。けど、そんなすぱっと割り切れへんよな。「自由」ってなんやろう。なにからの自由なんやろう。自分の才能、滝川みたいになるやろうと先が見えてる自分?
・「@パンフレット 原作小説はともすれば女性への愛情がないひどい話にも見えるが、男の内面を描くための必然であった」
必然って言われても、そうすか……って感じやけど。5年経ってこの辺りの意識も変わったように感じて希望。「物語を展開させるために女が死ぬ、レイプされる@松田青子/女が死ぬ」じゃないけど。映画ピンクとグレーお前のことでもある。記号的な扱いやった杏奈が、染、色ではずるさを持った立体的な存在になっててよかった。北見が杏奈に言った「ずるいよ」めちゃくちゃ好き。「深馬くんってどんなひと?」ってきく杏奈の切実さ。
・鍋なんか具材切っていれるだけやのにそれくらいで喜んじゃうの虚しい〜〜。(「コンロある?運べるやつ」ってかわいかった。運べるやつて!!)あの杏奈の部屋の隅でスケッチブックにかいてたんはなんやったんやろう。
・杏奈は深馬のことを美術の才能っていう観点では評価せん、というか評価する指標を持ってないから、そう意味ではいっしょにいるの楽そう。「杏奈といるとただ時間が過ぎていった」って才能とかのこと考えんでよかったって意味なんかな。というかシングルの母親が苦労して大学いれてくれたのに、深馬が住み着けるほどの広さの家に住んでるんなに??(俺はフィクションの人間の収支と家の広さのリアリティのなさがいちいち気になってしまう人間)そういえば深馬の家って出てこんかったな〜。真未といるときがひとりじゃないとすると、深馬がひとりの場面ってあんまなかった気する。
・「謙虚さは自己防衛」って真未に言わせたあとに「才能があるのに謙虚で尊敬してる」って杏奈に言わせるエグさよ。
・ずっと「先生」って呼ばれてたのが終盤は「滝川」って呼ばれるようになったん、先生っていう役割をおろしてひとりの創作者になったみたいでよかった。
・みた人が考える余白が多分にあるのがソロ曲とおなじシゲシゲしさやな〜。恐竜とか山羊とか目とかグラフティにもきっと意味があるんやろうなあ。グラフティでなにをかくかも脚本の範疇に含まれるんかな。
・深馬が真未に語りかけるシーンで終わっても物語としては成り立ったわけで、というかそこで終わるのが「染色」なわけやけど、そこからあの展開に突き落とすのさ〜〜〜くそ〜〜〜〜〜
・表情とか(正門くんの)汗とか配信でみるのはまた違う発見があってよかった!配信できるように調整してくれてありがとうございます、ほんとに。6本目の指を付けてる滝川が15年の5を手で表すとき、親指畳んで5ってしてたのとか、生で見てたら絶対気づかんかったな。
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・文脈は忘れたけど、正門くんの「みたいな」のイントネーション気になっちゃった。もろ関西弁やった気する。
・スタンディングオベーションみて、うおぉって顔した正門くん、「最後まで気をつけて帰ってください、気の利いたこと言えんくてすみません」って言った正門くんかわいかったな。
・特典映像で、正門くんがいちばん印象に残ってるって言ってた「可能性が広がるときは一方で狭まっていく」。しげあきくんがいつかのインタビューで言ってた「異端になんてなりたくなかった王道ジャニーズになりたかった」っていうのをなんか思い出しちゃった。10年前の小説の世界に足を踏み入れる行動は王道ジャニーズへの道を閉ざしたかもしれんけど、表現の幅を広げるいまに繋がってるんやもんな。世にもの主役をやって、金田一を演じてるいまにつながってるってすごくない?すごいよ。というか王道ジャニーズってなんや。
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友達に借りてたまたま染、色観劇前後に読んでた本がちょっとリンクするところあるなーと思ったからメモ。深馬は真未がいるままの深馬じゃ生きてられんかったんかなあ。真未との決別は大人というか生活者になるための通過儀礼やったんかな。
〇カイン 自分の「弱さ」に悩むきみへ/中島義道
なぜ、青年たちは美しいのだろうか?
人間において根本的なことに悩んでいるからだ。その悩みを解決できないことを知りながら、それでも必死に喘いでいるからだ。そして、それを自分の欠点として自覚しているからだ。それを克服していないからだ。
克服の半分以上は、それをごまかすことによってなされる。だから、生きるためにごまかしつづけてきた、そうせざるをえなかった中年以降の男たちは醜いのだ。
(30年前の自分に宛てた手紙)
きみはやがて死ぬんだよ。ぼくが殺したんだ。ぼくはきみを殺すことによって生き延びてきたんだよ。きみは、ぼくによってころされたんだ。だって、そのままのきみじゃあ生きていけるわけはないからなあ。
きみの中のぼくは、ある日ぼくに両手をさしのべて助けを求めた。全身から血を流すほどの苦痛のあとで、美しく生きることを断念した。そして、ぼくにきみを徐々に消滅させるように頼んだのだ。