実験結果

 

好きな男性が結婚しました。というか結婚していました。

 

というとすごく不穏な響きに聞こえる。
正しく言葉を補うと、

(独身だと思っていた、メディアで語られる考え方や思想が)

好きな男性(作家)が結婚しました。

というか(発表していなかったけど結構前に)結婚していました。

 

小説家の朝井リョウさんがご結婚されたことをラジオでぬるっと明かされていて、その一連の流れに戸惑い、転がされ、最終的に私が泣いたっていう話をします。
ラジオで話されていたご結婚の話を定期的に読み返したいので、文字起こしもした。

 

 

事の発端

事の発端はヨブンのこと18/1/21回。
トーク中にさらっと投げ込まれた「妻」。さらに投げ込まれた「社会人の妻」

 

いま妻って言った??????
高橋さんも自然に会話を続け、「妻」に言及されることなく放送終了。

恐怖と混乱。ほんとうに結婚してるのか、実在している妻なのか、そもそも「つま」ってあの妻なのか、いつから結婚しているのか等々、疑問は絶えず、今頃絶対エゴサーチしてると思いながらもツイートせずにはいられない。
無関係であることを祈るけど、私は「妻」発言回の翌日発熱、翌々日は会社を休んだ。

 


伏線回収

そして2週間後の2/5回で、伏線回収がされた。
きいていないひとはぜひタイムフリーできいてほしい!!!!!


・朝井さんはほんとうに結婚していた。嘘でも冗談でもなかった
東野圭吾さんの小説で、終盤たった一文字で大どんでん返しされるものがある。それが前々回の放送でいう「妻」。たった一文字で、これまでチームY(ラジオリスナーのこと。改めてダサい)のみなさんと築いてきた時間であったりを裏切った
・高橋さんには入籍する前にさらっと報告した
・結婚したのは去年(結構前)
・知人に報告した際に、「発表するの?」って言われた
・「誰に?」と思いつつ、公表しない=隠していると思われる可能性がある
・芸能人でもないのにわざわざ発表するのも…→現実と同じく会話の中でさらっと話すという実験を行う
・種明かしするつもりもなかったけど、放送後に思ったよりリプライが来て「みんなびっくりしたんだな」って思った
・高橋さん「妻って言ったときの朝井さんのあの顔忘れない」

 

以下文字起こし

(高橋さんの相槌は略。下線は私が特に揺さぶられた箇所)

 

ハッシュタグをサーって読んだ結果、みなさん気になってたのが、私はこの番組で結婚式のことをとんでもない言いぶりで言って、人の結婚式にも参加できない状態になりましたけども、「朝井リョウいま妻っていったけど、結婚式したの?」っていうのは私の目に止まってきたんですけど。結果的にしていなくて。
でもいろんな発見がありました。私の配偶者は私のような人間なんですよ、まず。私と同じレベル、または私よりもしたくないっていう人で。ふたりで話したんです。なんで私たちこんなにも結婚式したくないのかってことを
(高橋:ふつうさあ、女子ってさ、)

うんまあね

(高橋:絶対したいってなるじゃん)

まあでも普通って言葉はすごい凶器だから気をつけて。ひとりひとり考えは別々なわけですけれども。
なんで私たちはこんなにもしたくないんだろうってことをすごい話したんですけど。やっぱり自分で必要じゃないと思ったことをするってことがすごい苦手な2人なんですね。
結婚式って多分挙げるってなったら、神父、多分バイトの神父、家ではカップラーメンとか食べてると思いますけど、神父さんの前で謎に誓ったり、みんなその文化じゃないけど歌を歌ったり、ファーストバイトでケーキ、みたいなのあるじゃないですか。
そういうのが私たちに必要かっていうのをひとつひとつしらみつぶしに考えていった結果、私たちに必要なのは、親戚同士で会う場所は必要だから、親族で会ってご飯を食べるってことはしようってことになったんです。でもそれ以外で必要のないあらゆることは私たちにはいらないよねって話になって。しなかったんですけど、いわゆる結婚式みたいなことは。
いろいろ言葉を交わしていくとわかっていくことがあって。そのファーストバイトとかもさ、なんでこんなに嫌なんだろうと思ってたんですけど、あれはファーストバイトの奥にある意味が「男の人が稼いできたお金で、女の人が料理を作って料理を食べさせる」っていう意味がその奥にはあるわけですね。そういうのもすごい嫌だねってなったんです、2人とも。共働きだし、なんか別に私は料理を作ってもらいたいから結婚したわけではないし、その行為をすることによって、その思想を自分たちも背負ってると思われるのも嫌だったし。
すごい細かいことを言うと、結婚式とか行っていつも思うのが、新郎から挨拶をするとか、実は嫌なんですよ、見てて。なんで男からなんだろうって。平等なのになんで毎回男からだし、親の扱いも新郎の親からなんかあったりとか、あるじゃないですかいろいろ。
そういうのがお互い全部嫌だったんで、そういうことはお互いの親にももうちょっとやわらかい言葉でですけど伝えて。もしかしたら手紙とか読んでもらいたいかもしれないけど、人前で読む手紙は嘘だと思ってるから、そうではない形で感謝を伝えるとか


・お相手のご両親は、オールナイト時代から朝井さんのラジオを聞ていたので、異常に文脈を読んでくださり、説明が省けたらしい

 

以下文字起こし2

 

私は誰かといっしょに生きることとか、誰かといっしょに生きていくことっていうのは、逆説的ですけど、「自分の人生の主語を自分にすること」だなって思ったんですよ。それは全部夫婦とか関係なく、人と人との関係に全部言えることだと思うんですけど。
例えばアイドルに例えたら、AKBで総選挙っていうものがあるとして、応援するときに、「〇〇のために」、「あの子のために」っていう風に自分を誰かに預ける、自分の考えや人生を誰かに預けるってことをした途端に人間の関係性は不健康なものになると思っていて。
それはなんでかっていうと、「あなたのためにやってます」、アイドル側も「ファンのみんなのために活動しています、歌います」、ファンは「このアイドルが有名になるために票をいっぱい投票したい、CD買って握手に行きたい」とかするのよく聞くんですけど。
でもそうやって続けていくと、いつか「あなたのためにこれだけした”のに”」、”のに”が出てくると思うんですよね。「こんなに応援した”のに”、スキャンダルが出たじゃない。ファンのためにやってたのじゃないのか」とか、アイドル側も卒業してついてきてくれなくなったら、「私はこんなにファンのひとたちのためにいろいろ我慢してやってきた”のに”」、っていう”のに”が後々くっついてくるなって思っていて。それは夫婦とか親子とかにも言えるなと思ってんですね。
例えば、奥さん、奥さんって言葉私嫌いなんだった。配偶者、女性が、男性に対して料理を作ってあげたとして、「あなたのために料理を作った」ってことになっちゃうと、やがて「こんなに私は家事をしてた”のに”」っていうことになっちゃうわけですよね。
典型的なあれですけど、男の方が家賃多く出してるとかだった場合に、「俺はお前のために働いて、お金を稼いできた”のに”」、”のに”になっちゃうなって思ったから。人に何かをするときに、主語を自分にすることがすごい大切だと思って。料理を作るんだったら、「自分があなたのことを大切に思っている気持ちを表すために料理を作った」ってなると、その後何か裏切られるようなことがあったとしても、浮気されたとか、「自分の気持ちを表現するために料理を作ったんだから」っていう、順接になるっていうか、そこで気持ちがねじれることがないのかなって思っていて。
子どもとかもさ、すごいお金かけて、「あなたのためにいろんな習いごとをさせたのに、ぐれちゃった」みたいになると、親は子どもを責めるかもしれないけど、「私はあなたがいろんな世界に触れた方が良いと思ったから、自分のそういう思いを伝えるために、いろんな習いごとをさせた」だったら、ぐれちゃったとしても「自分がやりたくてやったことだだから、あなたがどんな選択をしても」っていう風に、健康な人間関係が結べるなと思っていて。
私はそれをすごいわかってくれる人だったんです。私が言わなくても、もちろん配偶者は配偶者で自分の人生の主語は自分であるってことは、感覚的にわかってる人だったんですよね。私たちはお互いの人生を、こう、このいまの時代をお互い健康的に生き抜くために手を組んだっていう感じなんです。もちろん大切だし、好きで結婚しましたみたいな感じの言葉があてはまる部分はもちろんあるんですけど、それよりも、この世界をお互いに健康的に生きていくために、一番の、共に闘う、共闘する仲間を見つけて、手を組んだって感じなので。
言葉にすると離婚理由みたいなの。「2人の人生のために、」そのあとさ別れましたってつくじゃん絶対。「それぞれの人生を豊かにするために別れました」みたいに言うんだけど。自分たちの場合はそれぞれ人生を豊かにするために入籍したって感じなんです。

 


私の話

後半の「自分の人生の主語を自分にすること」を聞きながら泣いた。翌朝タイムフリーで聞き返しても泣いたし、勤務時間中に思い出し泣きもした。笑

一連の実験で心かき乱されたけど、心からの祝福の気持ちでいっぱいです。朝井さんご結婚おめでとうございます。
お話を聞いているだけで、朝井さんがお相手の方を大切に思われていることが伝わってきて、こんな風に大切に思える人といっしょになれるなんて奇跡で、最高だなとあほみたいなことを思っている。

語弊しかない言い方になるけど、朝井さんのような人がこんな風な結婚ができることは私にとっての希望だなとも思う。

いつか、より言葉を尽くして小説という形になったものを読めるときが楽しみ。

 


半年くらい前、一人暮らしを始めたばかりのころ、先輩と飲んでいたら料理の話になった。

 

「料理してる?得意?」
「苦手ですけど、自分で食べる分には問題ないくらいには作ってます」
「好きな男の人のためにご飯作ってあげたいとかは思う?」
「料理苦手なので全く思わないです」
「苦手だからこそがんばってつくってあげたいって思うものなんじゃない?」
「先輩も料理作ってあげたいとか思うことありますか?」
「あるよ、ふつうはそうなんじゃない?」

 

とかまあそんな会話をした。
何気ない会話だったけど、半年たっても覚えているくらいには胸につかえている。
私は得意でない料理を相手に振る舞うことはしたくないし、いまのところ料理上手になる見込みもないので、そんなものと思っていたけど、どこかで「あなたのためにご飯を作ってあげたい」と思ったことのない自分は薄情で愛が薄いのかなとも思っていた。
けど全然そんなことなかったわ!!!と朝井さんの話を聞いて救われた。
いつか料理がいまよりできるようになったときに、私が自分のためにこの人に料理をつくりたいと思える人といっしょにいたいなと思いました。


かとうしげあきさん
「この世界をお互いに健康的に生きていくために、一番の、共に闘う、共闘する仲間を見つけて、手を組んだって感じ」という朝井さんの話を聞いて、「愛すること、それは見つめあうことではなく、共に同じ方向をみること」という言葉と同義だと思った。
そういえばかとうしげあきさんも「料理が得意だから僕が作りたい。ごはんまだって言われたい」っていう男性だったな

(これもこじつけだけど)